マーケティングのジレンマ・・・No.6 書籍や文献に残されず、情報として発信されないと、歴史に刻まれることはない
ピーター・ドラッカーは著書『マネージメントⅠ』の中で、マーケティングの元祖は三越の前身である越後屋だと述べている。
ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)は著書『マネージメントⅠ(1974年日経BP社刊)』の中で、マーケティングの元祖は三越の前身である越後屋だと述べている。だが残念ながらこうした越後屋の取組みは、体系化され書籍や文献として残されず、また情報としても発信されずにいたため、世界から評価を受けず現在に至ってしまった。
世界で初めてマーケティングの概念を取り入れたのは、三越の前身である越後屋だ!?
19世紀末にアメリカで鉄道と電信のネットワークが完成し、新しい工業製品が大量に生産され流通するようになった。交通と通信の発達はアメリカ全土を「市場」に変え、交通通信のネットワークは工業部門を始め農業部門にも影響を与えた。大量生産された製品を販売するには「市場」を生み出す必要があることが認識され、流通の重要性が認識されるようになった。企業が大量生産を行えば、必然的に大量の製品を流通させ販売する必要性が生まれる。そこで販売エリアの拡大・販売チャネルの整備など、マーケティングが必要な環境が生まれていった。
20世紀に入り鉄道と通信に加えて自動車が登場し、その普及によって新たな時代が幕を開け、そこで現在のマーケティングが誕生した。
ちなみにピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)は著書『マネージメントⅠ(1974年日経BP社刊)』の中で、マーケティングの元祖は三越の前身である越後屋だと述べている。当時日本の小売業の商い方法は見世物商い(ミセモノアキナイ 得意先を訪問して注文を取り、あとから品物を持参する)か、屋敷売り(直接商品を得意先に持って行き販売する)方法だった。
顧客は大名、武家、大きな商家だと支払いは6月、12月の節季払いか、年一回払いが慣習だったため運転資金が必要で、支払いの延長や回収不能などのリスクが伴うため、売価が高くなる弊害があった。そこで越後屋は現金販売・正札(値札づけ)販売・コンサルティングセールス・CRM・大福帳による顧客データベースづくりとその活用など、当時世界に存在していない画期的なマーケティング活動を行った。
アメリカのシアーズ・ローバック(Sears, Roebuck and Company)が最初に始めたと思われていた取組みが、実は250年も前に日本で実践されていた。残念ながらこうした越後屋の取組みは、体系化され書籍や文献として残されず、また情報としても発信されずにいたため、世界から評価を受けず現在に至ってしまった。
(画像は三越のサイトから引用した)