人の幸せを自分のことのように喜び、人の不幸を自分事の様に悲しむことができるパートナーや友人に囲まれていたら、素晴らしいことです。一方で人の不幸を蜜の味と感じ、努力や苦労、我慢や痛みなどがその裏側に潜んでいることに思い至ることなく、妬む人がいます。にもかかわらず、妬まれる種を、自らの手で撒く人もいます。
この国で心地よく暮らすには、敵をつくらないことだが・・・
多くの人には手が届かないモノやコトを手に入れると、自慢したくて仕方のない人が出てきます。友人や知人に話をするだけでは終わらず、SNSでアピールする人もいます。事実、SNSにはリア充なコンテンツをよく見かけます。人に自慢する行為は、本人には快楽であり、時に麻薬のような力を持つようです。
対面で自慢しているなら、その数はまだ限られますが、SNSでは見ず知らずの人にまでその自慢話を披露することになり、予想を超えて拡散していきます。そこで生まれるのは、逢ったこともない大勢の人々に芽生えていく嫉妬や妬みです。
自慢を繰り返してきた人が、何かの理由でつまずいた時、見ず知らずの多くの人たちによるバッシングが思わぬところから始まります。それをマスメディアが取り上げると、さらに増幅され、袋叩(ふくろだたき)状態になっていきます。その一方、自分とは比較にならない才能がある人に対して、嫉妬する人が生まれている現実があります。スポーツや音楽、演劇などの専門分野で力量を発揮する人たちや、事業を軌道に乗せた経営者まで、見知らぬ人たちから理不尽な嫉妬をされるのは困りものです。
自慢という行為は、本人には魅力的なのですが、そこには麻薬と同様に副作用が待ち受けています。
この国で心地よく暮らすには、敵をつくらないことです。
敵を作らないためには自慢をせず、SNSでは発信するコンテンツを事前に精査して、見ず知らずの人からの嫉妬をさけることなのですが、それでもなお、自慢したい欲求を押さえられない人が存在するのも、現実です。